ご由緒
ご由緒について
文治 五年(1189年)の矢本城主だった
「鎌倉 権五郎影政」の孫である「長江 太郎義景」が、
将軍『源 頼朝』より深谷の庄を賜り、
祭神を京都祇園社からご神体を遷祀し祇園社と称しました。
明治 五年(1872年)の「仏神分離の令」により須賀神社に改め、
明治 三十九年(1906年)に村社に指定されました。
雷神社は萬延元年(1860年)に設立され、
明治 四十二年(1909年)に須賀神社に合祀されています。
境内社に佐久良神社があります。
現在の神社は、明治 五年に当市の森山喜八郎氏が棟梁、
加賀栄七氏が副棟梁で再建されました。
拝殿向拝にある龍の彫刻は、
境内西側にある欅の枝を使用したもので、
作者は名も告げず立ち去ったと伝えられています。
この彫刻は、市内屈指の美術工芸品であります。
御祭神
素戔嗚尊
(すさのおのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟神です。
勇猛果敢な神様であり日本神話では八岐大蛇(やまたのおろち)を退治しました。そしてその尾から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を取り出し、天照大御神に献上されました。
後の三種の神器の一つ「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」と伝えられています。
八岐大蛇を退治した際に助けた、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)と結ばれ、幸せな家庭を築いたと知られています。
櫛稲田姫命
(くしいなだひめのみこと)
「稲の稔る田」の象徴とされる豊穣を司る神様です。
足名槌(あしなづち)と手名槌(てなづち)夫婦は、八岐大蛇(やまたのおろち)という怪物に悩まされていました。毎年出雲にやって来ては娘を食べ、すでに七人の娘が生贄となっていたのです。最後に残った櫛稲田姫命(くしいなだひめ)も間もなく生贄となる運命でした。
夫婦と櫛稲田姫(くしいなだひめ)が川のほとりで泣いているところに素戔嗚(すさのお)が通りかかり、事情を話しました。そして、素戔嗚より櫛稲田姫との結婚を条件に八岐大蛇退治を申し出されました。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)に助け出された後、妻となり多くの御子神をもうけられました。